日本語スピーチ/作文コンテスト

参加作品

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カルタ遊び

命と平和
シラエバ・ユーリャ(教育大学3年)

しあわせ
キリチコ・ビャチェスラブ(法律大学)

おいしい「はやり」
スモリャニノワ・ダリア(シベリア北海道センター日本語クラス2回生)

サッカー
クハレンコ・アンナ(工科大学2年) 

東京ディズニーランドとディズニーシー
ドミトリエワ・アンナ(工科大学2年)

ロシアの大学生が日本語を選ぶ理由
ゴミニュク・インナ(トムスク国立大学3年)

箸について
パヴロヴァ・エカテリナ(工科大学2年)

命と平和
シラエバ・ユーリャ(教育大学)

命は生まれることです。生きるためには生まれなければなりません。人と動物はこの惑星に生まれこの惑星を美しくします。昔々私たちの惑星が生まれ、そして今、私たちはその上に生まれて住んでいます。十八年前、私は平和と愛にかこまれて生まれました。私は私たちの世界が好きです。私は自分の命を自分の力で生きます。しかし時には、命はいろいろな人々をたよりにします。

私には両親がいます。私の家は五人家ぞくです。私には姉と弟がいます。私の姉は夜八時まで働き、弟はおそくまで学校で勉強しています。私は大学三年生です。私たちはみんな夜おそく家に帰ります。両親は私たちが夜おそく帰るのを知っていますが、とても心配しています。なぜならば、冬、外はたちまち暗くなりますし、私たちの町の通りには時々悪い人がいるからです。いえに一人で帰ることが私はこわいんです。どの両親も自分の子どもたちのことを心配しています。

今年、私の弟は学校を卒業します。私は弟が軍隊に行って戦うことがきらいです。軍隊と戦争に行って死にたくない弟はどこかの大学に入学して勉強したいです。 一九九五年からチェチェン戦争が始まりました。ロシアの若い男の人たちが送られて戦いました。今、若い男の人は少ししか生きていません。十八さい以上の若者が戦争で死にました。家族はニュースでむすこや夫の死を見ました。一九九五年十八さい以上の若者は戦争に行って死ぬことを心配していました。しかし、ロシアを守るためにすすんで戦争に行く若者もいました。

チェチェン戦争からロシアでテロが始まりました。たてものの部屋がばくはされました。人々は不安になりました。とてもたびたびバスや地下鉄にくろいかばんがおかれました。けいさつはそれはばくだんだと思いました。この時から今日までバスや電車に自分のにもつを忘れないようにいつも言っています。もしあやしいかばんを見つけたら、さわらないでけいさつに電話をするように。あるとき私が電車にのっていたとき、一つの駅でくろいかばんを見つけました。人々はこの駅にだれものこらず次の駅へ行きました。でも、これはばくだんではなかったからよかったです。

 私たちは恐れながらくらしています。私は安心してくらしたいです。私は世界で戦争が起こることがきらいです。私は平和であることを望みます。

今、私は学生です。この夏、私は、キャンプのしどう者としてはたらきました。小さい子どもたちに愛と心をあたえることはすばらしいですから、私は教しになりたいです。私の専門はれきしの教しです。二年後私は学校ではたらくことができます。私は子どもたちにれきしを教えます。私は平和についても話すつもりです。

平和とは何でしょうか。平和、それは戦争のない時です。平和、それは家の安全です。それは家族の中の愛です。

全ての国のれきしに戦争があります。家々がこわされることがありました。人々が死ぬことがありました。両親は子どもを失うことがありました。子どもには両親がいなくなることがありました。みんな人々が泣きました。けいざいもこわされました。時には国王がころされました。人々の生活は変えられました。人々は不安でねむれませんでした。子どもたちに私たちが自分たちで平和をつくらなければならないことを話してあげたいと思います。もし平和が戦争になれば、人々の命は続きません。

いつか私はけっこんしたいです。夫婦の愛は美しいです。女の人は子どもたちを生みます。そして私たちの地きゅうに人がふえます。私も子どもがほしいです。それは私の平和と私の人生になるでしょう。もし全ての人々が家族をもてば、平和になるでしょう。もし人々がお互いに愛しあえば戦争は起こらないでしょう。私は全ての人々と平和を愛しています。

しあわせ
キリチコ・ビャチェスラブ(法律大学)

しあわせとは何でしょう。しあわせは、芸術と同じように、いろいろな形態があります。私たちは、なにか広大で、偉大なことを渇望しています。私たちは、大きな愛情や強い友情や偉大な発明や音楽を求めます。平凡な毎日を気持ちよくすごすために、小さなくだらないことも必要です。たとえば、雨やきらめく虹やベッドに横になっている猫や林にはえているきのこなどです。夜明けを眺めたいと思うし、つるの鳴き声を聞いてみたい、と思います。だれかが自分のことを心配してくれたり、思ってくれたりするのもうれしいことです。心の中のことを話せる友達をもつことも、幸せの一つです。

しあわせが訪れるとき、悩みや悲しみや失敗や敗北を忘れさせてくれます。

しあわせはいろいろな形をしています。結婚のしあわせや、家族のしあわせ、成功のしあわせなどです。ロシア人の作家のトルストイは「幸せな家族はみんな同じだが、不幸な家族はみんなちがう」と言いました。どんな幸せな家族にも、時々、悲しみや不幸が起こります。しかし、そのつらいときに、そばにいてくれる人がいたら、その悲しみや不幸が軽くなります。もし、つらいときにだれもそばにいてくれなかったら、その人はとても不幸です。悪いことが続くときは、考え方を変えてみる必要があります。

生活の変化を恐れる必要はありません。新しい生活に予想外の苦しみが待ち受けていたりするかもしれません。しかし、思いがけない楽しい出来事があるかもしれません。いたるところに新しいことが待っています。新しい道を選んだら、そのことを後悔しないように、頑張らなければなりません。そうすれば、しあわせになれるでしょう。

また、苦しいときにいつも友達がいてくれるとは限りません。一人で砂漠に取り残されたり、嵐に巻き込まれる場合もあります。そういうときは、自分ひとりと思わず、心の中にいる愛する人や友達に話しかけてみましょう。きっと、助けてくれます。愛する人や本当の友達をもっている人はしあわせです。愛されることもしあわせですが、愛することもしあわせです。

ぼくは、そんなしあわせをたくさん見つけたいです。

おいしい「はやり」
スモリャニノワ・ダリア(シベリア北海道文化センター日本語クラス2回生

はじめて出会った日本人と話しをしようとすると、どこからトークをはじめたらいいかわからない時、料理がテーマだといつも助かります。赤の他人に「ロシア料理の中で一番おいしいものはなんだと思いますか。」と聞けば、楽しいコミュニケーションになります。そう考えれば、肉体的なものである食べ物は精神的なものに化けることが多いです。

和食はロシアの日本ブームのばねになったという意見があります。つまり、ロシア人は寿司を好きになって、よく和食レストランに行ったことにより、日本文化に対して興味が段々湧いてきました。今も日本料理レストランは人気を集めています。正直に言えば、和食だけでなく、世界各地の料理店は雨の後のたけのこのようにぽつぽつと現れています。

今の人々は料理にあこがれていると言いすぎではないでしょう。日本人は食べ物に夢中だとよく言われていますが、ロシア人はそのかた比べに熱心です。そのパッションの理由で、特別な料理のファッションが生まれました。「ファッションフード」という新しい言葉さえ作られました。

日本料理ファッションと言えば、「スペシャルおすすめ」のはやりが広がってきました。

この店だけで食べられる料理が大変ポピュラーになりました。たとえば、山形県にある温泉のスペシャルおすすめは熊手そばです。このユニークな料理の特徴はそばのうえにある本物の熊手です。店長は熊を一年一匹だけ殺す許可をもっているから、まる一年で熊手そばは四つしか出てきません。くまには足が四本しかありませんからね。一個は10万円なのに、このそばをかならず食べたい人は数年にわたって自分の番を待っています。

料理ファッションには味よりイメージの方が大切です。食べ物はおいしいかどうかともかくとして見た目の魅力さ、マスコミと宣伝の騒ぎが大事です。

80年代のころには全ロシアにおいてマクドナルドがモスクワだけにありました。そして、その時、もしモスクワに行くことになったら、赤の広場のマクドナルドに必ずいかなくちゃという考え方がありました。アメリカのファストフードは大変おいしいものとは言えないですが、その時のはやりでした。

でも、これからは寿司がアメリカのハンバーガーの代わりになっていきます。もしかしたら、和食はエリートフードの立場を失って、ファストフードになってしまうかもしれません。将来のファッションの流れを誰でも予測できないと思います。

しかし、料理は肉体的なレベルから人の内心まで踏み込んだことはもう否定できない事実ではないでしょうか。

サッカー
ドミトリエワ・アンナ(工科大学)

今日はサッカーについて話したいと思います。女の子が 男性のスポーツについて話すなんて ちょっと変だと思われるかもしれません。けれども、ゴールにボールが入りそうな時のハラハラドキドキする気持ちを味わった人なら、サッカー以上にこうふんするゲームはないことが分かるでしょう。私は子どもの時からサッカーが大好きで、男の子たちといっしょにボールを追いかけて、走り回っていました。でも、なぜか足でボールをけるよりも手でとる方が上手だったので、よくゴールキーパーになりました。今では大人になって自分ではサッカーをしなくなりました。が、私が父といっしょにテレビでサッカーの試合を見ると、友だちはやはりびっくりします。

日本と韓国で開催されたワールドカップからもう一年経ってしまいました。あの素晴らしい大会の感動は今も私のむねに生きています。ワールドカップ開催中は3千3百万人のサッカーファンの目がテレビにくぎづけになりました。もちろん、私はまずロシア代表を応援しましたが、日本代表にもがんばってほしいと思っていました。それに、ロシアと日本は同じくみに入っていましたね。残念ながら、ロシア代表はしっぱいしました。日本代表は準々決勝に出たとき、大変うれしかったです。日本の選手は、ほんとうにレベルの高いプレーを見せてくれました。

日本でのサッカーの歴史は長いのですが 日本のサッカーがここまで来るのには時間がかかりました。サッカーは1873年にイギリスから日本に入りました。1991年には日本初のプロのサッカーリーグ、「ジェイリーグ」が設立されました。1998年には 日本代表はワールドカップフランス大会に出場しました。そして、2002年のワールドカップでも成果をあげました。

私は2002年のワールドカップのようなイヴェントは 民族間の友情を深め、相互理解や協力を発展させるのに役に立つと思います。自分の国を愛する気持ちが強くなると思います。また、プロスポーツへの関心も非常に高くなります。日本はこれらの側面で大きな貢献をしているのです。

東京ディズニーランドとディズニーシー
ドミトリエワ・アンナ(工科大学)

子供の時、私はウォルトディズニーの映画を見て、そこに登場する主人公たちにいつか会えることを夢見ていました。これらの主人公たちに会えて、いろんなアトラクションも楽しめる場所がアメリカにあると知って、そこに行きたいと思いました。しかし、残念ながら、ロシアにはディズニーランドのようなテーマパークはありません。ですから、私のこの夢はただの夢でした。

しかし、最近私は「今日の日本」という雑誌を読んでいて、大変面白い記事を見つけました。この記事に私は本当にびっくりしました。私ははじめて、東京の近くにもディズニーランドがあることを知ったのです。さらに、つい最近、海の近くにディズニシーというテーマパークもオープンしたというのです。今では、たぶん、多くの人はアメリカのディズニーランドではなく、日本のディズニーシーに行きたいのではないでしょうか。そして、東京ディズニーランドよりも、ディズニーシーを訪れる人の方が多いらしいのです。ここでは子供だけでなく、大人も十分楽しむことができます。若い人たちはロマンチックな気分にひたることができますし、年配の人たちも、まるで子供のように、ミッキーマウスに拍手しています。

私はいろんな年齢層の人々が一緒に楽しめる場所を提供することは大変重要なことだと思います。そして、誰でも人間は、時々日常生活を忘れて、ファンタジーの世界にひたりたくなるものです。

ディズニーシーでは入場者は、まず、水の都ベニスの町並みを散歩し、そこからさらに歩いて行くと、1920年代のアメリカの町並みに出会います。そして西洋のものに飽きたら、メッカやアラジンなどの東洋のものも見ることができます。ここではまたいろんな国の料理を楽しめます。ディズニーシーでは様々なアトラクションも楽しむことができます。

夜8時には「ディズニーシー・シンフォニー」と題する閉館セレモニーが始まります。入江の真中に3隻の船が現れ、その一隻の甲板にはミッキーマウスが乗っています。そして、突然オーケストラによるシンフォニーが始まり、同時に夜空に大変きれいな花火が打ち上げられます。

私は今、日本語を勉強していて、将来は日本と関係がある仕事につきたいと思っています。 そして、いつか日本を訪問したいと思っています。その時は必ずディズニーシーへも行きたいです。

ロシアの大学生が日本語を選ぶ理由
ゴミニュク・インナ(トムスク国立大学3年)

ロシア人にとっては日本は遠くて謎の隣国です。日本とロシアの文化には大変な違いがあります。

日本史と文化は好奇心の強いロシア人にとってとても魅力的です。ロシア人は日本に大変興味があります。ロマンチックな人はアニメを見たり折り紙を作り始めたりします。

スポーツが好きな人は空手や柔道をやり始めます。

流行を追う人は漢字の書いてある服を着ます。漢字の書いてある服があまり好きではない人は自分でどこかに漢字を書きます。

最近ロシアでは沢山の日本の文学作品が出版されるようになりました。本屋で「源氏物語」から現代詩集まで色々な本を買うことができます。本を買うことができない場合にはインターネットで多くの日本の文学作品も読めます。日本の文学作品は老若男女を問わず多くのロシア人に読まれています。

インターネットのサイトで日本についてロシア語で情報をさがせます。日本映画は好きな人と嫌いな人がはっきり別れます。しかしどのロシアの町でも日本映画祭が催される時は空いている席がありません。日本映画のビデオを売るビデオショップ(ビデオ屋)もあちらこちらで見かけるようになりました。そのようなビデオショップには日本映画のビデオやDVDがずらりと並んでいます。

また、最近、日本とロシアの共同研究や合弁事業が活発になっています。日本文化センターも増えました。毎日ロシア人は日本について何か面白いものをテレビや新聞などで見たり聞いたりしています。それがロシアの大学生が大学で日本語を選ぶ理由です。

トムスクでは1992年に国立大学に歴史学部の国際関係学科ができてから日本語教育が始まりました。今、トムスクでは国立大学と工科大学と教育大学で日本語が教えられています。トムスクのロシア人の日本語の先生方が国際交流基金のセンターで日本語教育法の短期研修をされました。

箸について
パヴロヴァ・エカテリナ(工科大学2年)

私は箸について話したいと思います。

一年半前、私は初めて日本語の授業を受けて、日本語でまずこんな表現を覚えました。「私はカーチャと申します」。とても難しかったです。私は日本とその文化が大好きなので、地域研究学科に入りました。最近、ロシアでは、日本への関心がかなり高まっています。そのような関心の高まり方の例として、ロシア、特にノボシビルスクに、多くの日本食レストランが現れたことが挙げられます。私のお気に入りは「すし惑星」という名前のレストランです。

一年前、私は友だちといっしょに初めてそのレストランに行きました。初めは生の魚が食べられないと思っていました。けれども、きれいなきものを着たウエートレスさんがいくつかの皿を勧めてくれました。しょうゆをつけて食べるエイとエビのすしでした。なんておいしいのでしょう。前は箸を使うことができませんでしたが、今はできます。箸には木やプラスチックや骨でできたものがあることを知りました。きっさてんやレストランでは、2つに割れる「わりばし」という木の箸がよく使われています。

日本では、箸は贈り物にふさわしいとされています。生後100日の赤ん坊に贈ったり、結婚するカップルにプレゼントしたりします。特別なお正月用の箸やおやつ用の箸もあります。しばしば「はしぶくろ」という特別なケースに入れて出されます。また箸は「はしおき」という台にのせます。

箸を使って食べることは、実は、あまり難しくありません。箸の使い方をマスターすれば、食べ物をつまむ、それを切り分ける、ソースをかきまぜる、などといった多くの動作をらくにすることができます。

私は箸で食べることは有益だと思います。箸の使用は細かい筋肉を鍛え、知能の発達を促すそうです。ですから、日本では小さい時から箸の使い方を教わります。研究によると、箸で食べている子供たちはスプーンを使う子供たちより知恵が進んでいます。将来私に子供ができたら、箸の使い方を覚えさせたいです。