ロシアに生きる

ノボシビルスクに来た日本人

 私は日本で35年間暮らした後、ロシアのノボシビルスクに来た。人生の後半を新しい世界で過ごしたい、というのが希望だったが、この歳で新しい世界に飛び込むことは、大きなストレスを抱えることでもあった。しかし、それに気づいたのは、暮らし始めて3年を過ぎたあたりからで、その頃にはもう、ノボシビルスクにすっかり魅せられ、苦しくともロシアで長く生き、ロシアの成長を長く見続けたい、と思うようになっていた。「長生き」なんて言葉が飛び出すのは、「全く寿命が縮むよなぁ」と思えることが度々ある一方、ロシアでの生活が確実に便利になり、ロシア人が明らかに「まとも」になりつつある、と感じられるからだ。どうせなら、今の寿命の中で、世界の頂点に達するロシアを見てみたい!

 ロシアの大統領選挙が終わり、プーチン大統領が70%以上の信任を得て当選した。彼は以前も今も、「ロシア人はどんなロシア人になるべきか」と国民に呼びかけている。彼は「パリャーダチニー」になれ、と呼びかけている。パリャーダチニーとは、「きちんとしている、正直、公平、見苦しくない、尊敬される」など。深く勘ぐると、全く普通のロシア人(例えば前の大統領)の性格を裏返したような性質の羅列だ。「ここはロシアだからロシアの習慣に従え」「状況が変われば言葉が変わるのは当然(=約束を破る)」「遅れるのは全く無いよりまし(=遅れてもいい)」「機会を見つけて自分を売り込め(うそをついてでも)」etc。いろいろなロシアのことわざまで持ち出して、私にロシア流を教えてくれたロシア人に、私は言いたい。「新しいロシア人になれ」と。そして「パリャーダチニー」と紙に書いて、職場の壁に貼りたい!

10年越しのロシアの夢

 私は、2001年9月、ノボシビルスク工科大学の日本語教師に採用されて、初めてノボシビルスクに来た。日本で地図を見たとき、ノボシビルスクはモンゴルの上だから、「羊を放牧している遊牧民がいる田舎」と思っていた。しかし、来て見ると、ここは人口150万の大都市、アカデムガラドクという有名な学術研究都市(町)を持つ、ロシア・シベリアの首都であった。

 町の大きさ、豊かさ、美しさに驚愕した私は、なぜかそのとき「これを日本人に伝えなければならない」と思った。日本人は、マスコミを通じて世界の果てまで知ったつもりになっているが、たぶん誰もノボシビルスクを知らないはずだ。そこでノボシビルスク情報のWebサイトを作るつもりで、情報を集めはじめた。そして日本向けにソフトウエア開発をしていたソフトウエア開発会社の評判を聞き、取材を申し込んだが、取材の際に逆に面接を受けて、そのままその会社で働くことになった。

 実は私は、日本ではソフトウエア開発者として10年以上、いろいろなプログラムの開発や管理の仕事をしていた。ロシアの会社は日本向け営業を始めたばかりで、日本のIT事情を知っている私がぜひ必要ということであった。

生きていれば、こんな幸運にも恵まれる、というものだ。なぜなら、私がロシアに興味をもったのは、1991年、札幌のIT企業に勤めていた頃、ロシア人技術者と3ヶ月間だけいっしょに仕事をし、彼らの能力の高さに感動し、「将来はロシア人といっしょにシステム開発をする」と決めたのがきっかけだった。しかしロシア語も知らないし、コネクションもないし、1990年代のロシアは混迷を極めていたし、私はなすすべもなく、いつか役に立つかも、と日本語教師の勉強をして10年間、目標を温め続けていたのだ。2001年、幸運にもロシアの日本語教師の仕事を見つけ、田舎でも何でも、とにかくロシア、と思って出たのだが、来て早々、ロシアIT企業で働けるようになったのだ。

ロシアIT企業体験記

ロシア企業で働くことは、感動と苦労の連続だった。ロシア人の技術力はすばらしく、最新の多様なプラットフォーム、データベース、プログラム言語をうまく組み合わせて、複雑なシステムをスマートに作ってしまう。いや、作る能力は確かに有る。

しかし、日本の顧客との折衝の場合、日本側の要望や仕様が矛盾だらけで、それを強制されたロシア人プログラマが神経失調になったり、中小企業向けのシステムなのにロシア人がMicrosoft製品並の品質を作ろうとして見積額が100倍も高くなったり、納期近く「ここは正念場だから頑張って」と日本人が言うときに、ロシア人は「残業させるなら金を出せ」と返したり。その間に立って、私とロシア人の通訳は、毎日議論し(はたから見ると毎日喧嘩)、ロシア人技術者をなだめすかし、日本人に頭を下げ・・・、メンタリティーの溝があまりにも深く、私は日ロ交流の将来を憂いたものだ。

しかし、時には、顧客からの仕様を翻訳して技術者に渡した後、全く手がかからず、あっという間に納期となり、すでに顧客側コンピュータにリモートでデータを納品しちゃったよ、という報告を受ける場合もある。そんなときには、(請求書発行するだけの手間で、いっしょに開発した、なんて言えないよなぁ)、と、ちょっと恥ずかしく思ったりもした。

一番おもしろいパターンは、日本企業が技術を知らず、アイデアだけがあるが方法がわからない、という場合、ロシア人が目的を理解して、実現方法を提案する。ロシア人の提案通りにシステムを開発すると、日本人もびっくりの理想的なものができる。このような成功に味を占めた日本企業は、ロシア人を利用して自分の会社を大きくしよう、とたくらむのだが、その会社に底力がないと、どこかで破綻するから恐ろしい。しかし、会社同士の分業・協力体制をうまく組めば、ロシアで高品質低コストのソフトウエア生産を量産化することは夢ではない。

職場での、寿命が縮まった2件の事例もご紹介しよう。 あるとき、電話で、会社の上司と協力会社の社長(いずれもロシア人)が話をし、ある約束をした。しかし30分後、相手社長が約束を破る行為をした。嘘つき社長曰く「電話をしているときは、確かにそのつもりだったが、電話を切ったとき気が変わった。人間だれでも気が変わることがあるでしょう。」ここで私がびっくりしたのは、これに憤慨するロシア人がいる一方で、それを当然と思うロシア人もいたことだ。言った言葉に責任を持たないなら、何のための話し合いぞ!

また、会社は欧米や日本と取引があるので、若い国際弁護士が雇われた。国際間の契約の問題を解決するために大変助力になるはずだった。しかし、入社後、「英語の”How to”は”請求書”という意味ですか」という国際弁護士の質問により判明したことは、彼女は英語が全く分からない、ということ。また、日本との契約の手続きをしている中で、私に「中国では・・・ですか」と質問が来た。彼女は私が中国人だと思っている(それぐらいは我慢できる)が、彼女が既に数日もかけて取り組んでいる書類の契約相手は日本なのだよ。(この弁護士は即解雇され、その後まともな弁護士が2名も採用された。

日本であれば、社員は、平社員で入社し、社内で訓練を受け、能力に応じて肩書きがつき、課長や部長に上がることも夢ではない。しかし、ロシアでは、入社時のポジションで全てが決まる。課長や部長は社内たたき上げではなく、外部から突然来るのだ。更に、日本の年功序列とは逆で、「若い人ほど優秀」だ、という風潮がロシアIT業界にはある。だから、若い労働者は、面接時に自分を高く売り込む。多少嘘をついてでも、「入社後頑張ればできそうな理想」を自分の現在の実力として売り込む。だから、この国際弁護士も、ロシア人から見るとちっとも変ではないのだ。彼女は「英語の仕事の場合はボーイフレンドに翻訳させるつもり」だったそうだ。

「新ロシア人、パリャーダチニー」、この新思想を広めたプーチン大統領は、それだけでも偉大な指導者だ。私の見る限りでも、正直・誠実・顧客満足を基本方針とし、それを頑固に守り抜こうとするノボシビルスクの企業が確実に増えてきている。彼らは、ロシアで合法的に、かつ国際ビジネス習慣に則って事業を進める、という2000年以前にはなかった原理に基づいて活動している。このような新生企業と保守的なロシア(特に行政当局)との摩擦は痛々しいほどだ。それでも、事業経営者の信念が砕けないのは、ロシアの過去から多くを学んでいるからであろう。そして、その信念に痛いほど共感している普通のロシア人が多い、ということも、ロシアの未来にとっては救いだ。

知られざるシベリアの産物

職場で日本人とロシア人の間にはさまれて神経をすり減らしながら思ったことは、「ロシア企業でロシア顧客を相手に働くなら、こんなに楽なことはない。嘘も言い訳もOKだから。相手が日本だから問題なのだ」。しかし、私はロシア語もカタコトで、とてもロシア人相手に仕事はできないから、逆に日本人相手にシベリアの産物を売り込むことを始めた。

最初に日本に売り込んだのは、白樺の皮で作った「ベレスタ」という民芸品。白樺の皮にはキシリトールのような殺菌成分があり、腐らないし、病気や頭痛の鎮静作用がある。気分が悪いときは、白樺の木に抱きつくといいし、部屋に白樺の小物があれば、空気が浄化されるらしい。そして、ロシア人の職人の手による美しい重層的な飾りや彫刻。私は、トムスクにある「ベレスタの村」でベレスタを仕入れヨーロッパに卸している人と知り合いになり、一番上質なところを分けてもらって、日本に送るようになった。

 その後、見つけたのは、白樺に生えるキノコ「チャガ」、和名「カバノアナタケ」。評判を聞き、自分で薬局で買って、健康飲料のように飲み始めたが、明らかに体調がよくなった。疲れがとれ、階段を上がっても息切れがしない、朝の目覚めがいい、なんだか別の人間になったようだった。ガンに効く、という話だが、それだけでなく、全身に効くようだ。私は、日本の知合いに頼まれて、チャガの製薬会社に直接コンタクトし、いくらかまとめて入手したが、ロシアの薬局の値段の半値で買えるのには驚いた。

 また、地質学研究所付属の鉱石美術館を見学して、鉱石の美しさに魅了され、ロシアの鉱石を集めるのが趣味となった。ロシア・CIS諸国は、地球の陸地の1/6もの面積をもち、世界的にも珍しい鉱石がたくさんある。若い頃、私は天文部に所属し星を眺めていたが、今は水晶やチャロアイト、フローライトなどの天然石を眺め、その中に宇宙の深遠を見つけて感動している。日本でも天然石ブームがあるらしいが、石は小さくかわいいものではない。大地に眠る太古の歴史だ。例えば、水晶は、掘り出したときはただの土くれだが、洗浄すると透明な結晶があらわれ、良く見ると「ロシアンレムリア」と呼ばれる△が無数に浮かんでいたりする。灼熱の地球が冷え、固体になり始めたころの地盤から掘り出された結晶を手にする喜びは、日本にいては味わえないものだ。

アカデムガラドクの研究所と技術シーズ

 ノボシビルスクには、ロシア科学アカデミーのシベリア支部があり、40以上の研究所、50名以上の科学アカデミー会員と1200名以上の博士、3500名近い研究者が居住し働らいている。研究所の多くは、オビ河沿いのアカデムガラドク(アカデミータウン)に位置している。アカデムガラドクは、ロシアの科学センターの一つであり、ユニークなのは、ここが国際的学術交流センターであるだけでなく、様々な国から来た研究者のトレーニングセンターでもあるということだ。

 私は、日本人の観光客や企業関係者がノボシビルスクに来られたら、必ずアカデムガラドクの「ロシア科学アカデミーの展示会場」にご案内することにしている。ここには、科学アカデミーの研究所が「商品化」まで視野に入れて開発した技術シーズが、模型や実物とともに飾られている。私は、ロシア人通訳といっしょに、「科学アカデミー技術シーズカタログ」を翻訳したが、そこには、「世界に類がない」「世界の類似物より良い」などとPRした技術シーズが100以上もある。おそらく、玉石混在であろうが、業界動向を変えるユニークな新発明が埋もれているはずだ。

 嬉しいことに、私の出身の秋田県が、昨年、アカデムガラドクを訪問してシーズ調査をしたが、ロシア技術が早速採用されて「マグナス風車」という新しい原理の風車が開発されたそうだ。ロシアのアイデアと日本の資本が結び付いて、ビジネスが成立する、というのは、なんともかっこいいことだ。シベリアはバカにできないポテンシャルを秘めている(と一人悦に入っている)。

ノボシビルスクの見所

日本人に必ずご案内したい場所は、他には、「シベリア鉄道博物館」「オペラ・バレエ劇場でバレエ観劇」「シベリア見本市(産業展示会場)」「鉱石博物館」。必ずではないが、ご希望があればご案内したい場所は「アルタイの2体の少女のミイラ(民俗学博物館)」「マンモスの化石」「ベレスタ美術館」「動物園」、その他、いろいろな美術館、劇場など。  ノボシビルスクには、モスクワやペテルブルグなどのような洗練された観光名所はないが、白樺と松の森、オビ河をせき止めて作った「海」と呼ばれる湖、そして大自然の残るアルタイなど、日本人から見て心奪われる風景がある。世界のどの学術分野にも、ノボシビルスク出身の著名な研究者がいるが、一般の教育レベルも非常に高く、そのせいか、治安が非常にいい。物理や数学ばかりでなく、絵画や民芸・宝石加工などの職人が腕を競い、伝統的に受け継いできた生活、貴重なものを大切に保管してきた都市、そういう誇りと落ち着きをもっている。ある意味で、近代の影響を受けすぎたモスクワやペテルブルグより、独自の道を行く極東ロシアよりも、シベリアには本当のロシア人の生活と文化があると言っても過言ではないだろう。